相国寺承天閣美術館ヘ出かけてきた。
若冲の手による観音懺法の設え。
観音懺法については、ココに詳しいが、ようするに、仏さんの絵と生きもんの絵をざらーっとかけて法要を行い、人が本来持っている仏性を取り戻そうということなのだろう。
この儀式のための絵、合計三十三幅は、いわばセットもので、若冲が両親の永代供養のために描き相国寺に寄進したらしい。鳥虫魚貝、花卉草木を描く動植綵絵三十幅は、二幅で一対になるような主題の相似した組み合わせから成る。相国寺で毎年六月十七日に行われる閣懺法に際して、方丈中之間の北壁に釈迦三尊像三幅を掛け、両側の梅の間、竹の間の北壁に、左右対称となるよう、十五幅ずつ懸け列ねたということである。
しかし、廃仏毀釈の進む中、相国寺はビンボーとなり、明治22年に(仏さんの絵以外の)動植綵絵三十幅を宮中に献上し、金壱万円の下賜金を得て財政を立て直したとのこと。したがって、釈迦三尊像だけは相国寺に留まり、ペアとなる30幅は宮内省の宝物殿にと別れ別れになっていたのである。
これが、120年ぶりに再会した(!)というイベントであり、是非、足を運びたいと思っていたのである。
話がやたら長いのだが、ただ単に若冲の絵を集めたんだぞ〜 という展覧会ではない、因縁物なのである。
さて、それでは何故今更若冲なのか... というところである。
流行りもんだからというのも否定はできない。
しかし、それに加え、ブライスコレクションと実家の生業といった因縁もあるのだ。
ブライスが、フランクロイドライトのお供をして曽祖父の開いたニューヨークの店に入店し、ブガッティの購入資金で葡萄図を購入。
これの軸は、落款が『景和』となっており、ブライス自身も若冲作であると知らずに求めたらしい。
その後、ブライスが若冲を求めて再訪した際、もう購入しているじゃないかと言ったとか言わないとか。
無知を晒すようで恥ずかしいが、今回の展覧会で、葡萄図が鹿苑寺大書院一之間を飾っているということを初めて知った。
20へー位だったなぁ...
しかし、この書院の襖絵、非常にPerspectiveな造りで、たいそうびっくりであった。
この手の展覧会に足を運ぶたびに思うこと。
なんで私はこういった職業を選ばなかったのかと。
キュレータにはキュレータの悩みや葛藤があるのだろうが、かなりうらやましい仕事に思われる。