昨年末から Social Management Platformの会社で働き始めた。
もともとMBAでのテーマにSocialを選択し、そのままずるずるとテーマを引っ張りながら今日のDBA幽霊部員状態に至っているのだが、あまりに何も進まないので、仕事そのものをSocialにすればよろしいのではないかと考えたのである。
もちろん、理由は単純にそれだけというわけではない。前の仕事は、とてもエキサイティングなものだったし、いろいろな機会を与えていただき感謝していた。(本当です!)そもそもおいらは、営業よりもビジョナリーの方が向いていると信じているし、ようやくそういう仕事に本腰入れ始めた段階だったので、転職は現実的なチョイスではなかった。
最終的なDecision Factorは、Sprinklrの言っていることが、おいらが考えていたこと、すなわち “Social Networkから得られるデータやInsightから、企業のDigital Transformationを最適化することができる” というアイデアに非常に近いというところに運命的な出会いを感じ、なかの人になることにしたのだ。これはもう、本当に清水から飛び降りるということなのですよ。
さて。Blogである。
Socialの世界にどっぷり浸かっていると、何もかもが流れていく感覚に気づく。
まるで、世界の果ては崖だったり、亀だったりするような感じで、どこかに流れていくのである。
誰のタイムラインであろうと、そこには自分の投稿、ソーシャル的なつながりからくる投稿、広告、その他さまざまな情報で溢れている。そして溢れ出た情報は、タイムラインの外に追いやられる。いったんそうなると、その情報を拾いだすのは結構難しい。おまけに、こうしたSocialの特性をさらに強化した SnapChatやInstagram Storyみたいなチャネルが登場し、意図的に投稿を消してしまうことがはやり始めている。(証拠が残らないという意味で特にGeneratin Zの方々に人気が高い)加えてGoogle様もSocial Network はまったく得意領域ではない。
なかなか鋭い考察をSocial Netowrkに書いても、これって流れて消えてしまうってことだよね。
そこで、Blogだと。
先日、Six Apartの方々と飲む機会があり、長々とTypepadを使っている身としては、ものすごくobligationを感じてしまったのである。「わたしは、Blogにろくなことを書いていない」と。
Blogは、Social MediaにおけるいわばHubのようなもので、Webはもちろん、Social NetworkやTumblr、E-mailといったいろいろなものがSpokeとして刺さっている感じ?
もちろん、Google様も検索することができる。書いたものやアイデアが、タイムラインと一緒に雲散霧消することもない。Self Brandingにも役立てることができる。
どうでしょう?Blog良くないですか?
流れているものは嫌いではない。
かつてHeraclitusが言ったように万物はすべて流転する。PANTA RHEIという言葉の中にあるコアの概念は、流転そのものが世界の成り立ちの根本であることを表している。奇しくもこの大昔の哲学者は、今日の我々の思想・表現に関わる活動の本質を言い当ててしまっているように感じる。Blogは、その動き続ける「流れ」に対し、緩やかに打ち込むアンカーみたいなものなのなかぁ。
ちなみに、Sprinklrは、Social Networkの管理ツールではあるが、Social Media Management Platformの方がより適切にその実態を表している。つまり、Blogもサポートしていますので、念のため。