やっと映画を見た。
クラカワーの原作を読んだのは、出版されてすぐなので、ずいぶん昔だ。
日本に帰ってきた頃、一度読み直している。
率直な感想としては、ショーンペンならではの視点が入っていること。
つまり、両親との確執みたいなものが、ある程度のサイズで取り上げられていることだろう。
自分の思い違いかもしれないが、クリスがナイーヴであったことは散々記されていたと思うが、両親が憎み合っていたことみたいな記述は覚えにない。
むしろ、原作には、クラカワー自身の経験が多分に入り込んでおり、若き日の自分のアラスカでの無謀な冒険話とオーバーラップした内容になっていたと思う。
また、原作では、クリスに対する『アマチュア批判』じみたものをもう少し感じたが、映画ではヘラジカエピソード以外にそれを示すようなものはない。またヘラジカの件も、クリス個人というより、自然に対する一人の人間の無力さを語るものでしかない。
おそらく、ショーンペンは、クリスをいい子に描きすぎているだろう。
ナイーヴで繊細が故に人にも優しい。
己の分を知り、自分に対し厳しい。
その背景にあるのは、物質的な豊かさは別として、誰に甘えることなく生きてきた家庭の事情。
この解釈については、必ずしももろ手を挙げて賛成はできないが、映像の美しさ、そして主人公の輝くような若さ(エミールハーシュってマッハGoGoなのね)には心が打たれる。
さて、映画を見て一番感じたことは何か。
ここまで荒野を求める背景には、巨大な喪失体験があるということ。
そう、自分の心の中が砂漠だから、砂漠にいくとほっとするのである。
荒野や砂漠に安らぎを見出すという意味では、自分も同類ではあるが、自分にそういった喪失体験があるとは思えないのだが...
自分に足りないものは何なのか。
何を求めて彷徨うのか。
なーんてちょっとおもっちゃうような、いい映画でした。
☆4つだな。